東京から花環は消えた……

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私が葬儀業界に関わり始めた1980年代、そして1990年代の頃は多数の花環(花輪とも記す)が葬儀式場に立ち並んでいました。
商売をしているような家なら20や30出ることも珍しくはなく、式場の壁にとりつけたり、電柱にくくりつけたり、はたまたカメラの三脚のように足をひろげて自立させたりしたものでした。

生花と違って造花は使い回しができるので(何しろしおれないし、枯れないから)昭和、平成の中頃まで花環の業者さんは大いに羽振りがよかったと言えます。個人経営の業者さんでも社員、アルバイトを何名も使い、4~5台のトラックで一日に何か所も走りまわっているような状態でした。

葬儀社で花環を所持していることも多くありました。自社で注文を受け自前の花環を式場に設置する、そして足りなくなると花環専門の業者(看板、テントもあったりする)に‘流します’。

どちらかと言えば「山の手」の葬儀社は花環を所持していないことが多く、最初はなから専門業者に発注します。「下町」や「多摩地区」の業者は自社でも所持していることが多かったですね。

しかし、2000年以降でしょうか、だんだんと姿を消していったように思います。

花環禁止の斎場が増える

たとえば東京、府中市の「市民の森聖苑」は1996年に竣工していますが、花環は許可されていません。
同じように東京の新しい斎場やリニューアルされた式場では花環が立てられない所が増えていきました。

そもそも付近の住民に配慮して昔ながらの宮型の霊柩車の出入りができないということが増えてきたのですから、遠くからでも目に付く大きな花環など認められるわけありませんよね。

そして、だんだんと消えていった……

花環が少なくなっていったのは斎場の近隣の住民に配慮して許可されなくなったということだけが要因ではないと思います。

  • そもそも美しくない
    ごめんなさい、花環のことを悪くいうつもりはないんですけど、やはり生花と比べたらやはり見劣りはします。
  • 葬儀の内容が変わった
    令和の現在、「一日葬」の数が伸びています。しかし、花環が多数出ていた頃は、仕事関係の取引先、得意先の方々も弔問に訪れることが常でした。
    「〇〇製作所」「〇〇工業」などと大きく社名の入った札を備えた花環はアピール力が強く、「出しました!」感を強く打ち出せました。

    大切な得意先の上司の花環に対しては気をつかって、一番目立つところに立てたりしてましたからね。
  • 消費者に受け入れられなくなる
    インターネットの発達によって消費者にたくさんの業界の情報が行き渡るようになりました。「白木の祭壇は使い回しで儲けが大きい」ということが知れ渡っていくと同時に、造花の花環も同様に人気がなくなっていくのも当然でしょう。
  • そして、葬儀社社員の世代交代
    昭和は遠くなりにけり……ということで、葬儀社の社員の世代交代が進むにつれて花環を受注するということ自体をしなくなっていきました。

いま、東京で花環を頼むことはできるのか?

私、個人としてはもう10年以上は花環を見ていません。

2,3年ほど前に旅をした宇都宮近辺の葬儀ホールでたまたま目にしたことはありましたが。
令和の現在、多摩地区の八王子でも府中でも西東京でも、もちろん23区内で花環を見ることはありません。

東京では、注文も取ろうという葬儀社の社員もいなければ、頼もうというお客さんも皆無でしょう。
もし、あなたが「どうしても出したい」と思ったとしても生花に切り替えてくれと言われるでしょう。

――かつて、多数あった花環の業者の方々はいまどうしているのでしょう?

葬儀社となり、直接、葬儀を請け負うようになったり、
テント屋さんに転身したり、生花を扱うようになったり、
それぞれ時代の変化に応じて生業を続けていらっしゃいます。

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